こんにちは。フリーライターの三浦陽子です。歯科医師として多くの患者さまと接してきた中で、皆さまが共通して抱える一つの不安がありました。それは、「毎日きちんと磨いているのに、どうして虫歯や歯周病になってしまうのだろう?」という切実な問いです。
良かれと思って、一生懸命に歯ブラシを動かす。その実直な思いが、知らず知らずのうちに、ご自身の歯や歯茎を傷つけてしまっているとしたら…。実は、力を入れてゴシゴシと磨く「オーバーブラッシング」は、まさにそのような悲劇を引き起こす原因となり得るのです。
この記事では、力を入れることだけが正しい歯磨きではない、という事実をお伝えしたいと思います。そして、羽(フェザー)でそっと触れるような、優しくも確実な「フェザータッチ」というブラッシングの作法をご提案します。
力の入れすぎが招く、三つの悲劇
「しっかり磨けている」という実感と、実際にプラークが除去できているかどうかは、必ずしも一致しません。むしろ、過度な力は歯と歯茎に深刻なダメージを与えてしまいます。ここでは、オーバーブラッシングが招く代表的な三つの悲劇について、ご説明します。
悲劇その一:歯茎が下がり、歯が長く見える(歯肉退縮)
毎日強い力で歯茎をこすり続けると、歯茎はその刺激に耐えきれず、少しずつ痩せて後退していきます。これを「歯肉退縮」と呼びます。歯茎が下がると、本来は隠れているはずの歯の根元部分が露出し、歯全体が以前よりも長く見えてしまうのです。これは見た目の問題だけでなく、露出した歯根はエナメル質に比べて非常に柔らかく、虫歯になりやすい(根面う蝕)という大きなリスクを伴います。
悲劇その二:歯の守りが削られ、しみる(楔状欠損と知覚過敏)
歯と歯茎の境目あたりを強く横磨きすることで、歯の表面がV字、あるいは楔(くさび)のように削れてしまうことがあります。これを「楔状欠損」と言います。歯の表面を覆う硬いエナメル質が削り取られてしまうと、その下にある、神経へとつながる無数の管を持つ「象牙質」が露出します。その結果、冷たい水や風といった外部からの刺激が神経に直接伝わり、「キーン」と痛む「知覚過敏」を引き起こしてしまうのです。
悲劇その三:歯茎が硬く盛り上がる(フェストゥーン)
意外に思われるかもしれませんが、歯茎は長期間にわたる強い刺激から自らを守るために、硬く、そしてロール状に盛り上がることがあります。この防御反応は「フェストゥーン」と呼ばれます。一見すると、歯茎が引き締まっていて健康的に見えるかもしれません。しかし、これは健康な歯茎が持つシャープなラインとは全く異なる、不適切なブラッシング圧によって引き起こされた異常なサインなのです。
「フェザータッチ」ブラッシングの作法
では、どうすれば歯と歯茎を傷つけることなく、プラークを効果的に除去できるのでしょうか。その答えが、力を抜いて優しく磨く「フェザータッチ」です。具体的な三つの作法をご紹介します。
作法一:持ち方を変える ― ペングリップという選択
まず見直したいのが、歯ブラシの持ち方です。多くの方が、歯ブラシをグーで握りしめる「パームグリップ」で磨いているのではないでしょうか。この持ち方は力が入りやすく、オーバーブラッシングの大きな原因となります。
そこでお勧めしたいのが、鉛筆を持つように歯ブラシを軽く握る「ペングリップ」です。指先で支えることで余計な力が自然と抜け、手首を使った細やかで優しい動きが可能になります。最初は頼りなく感じるかもしれませんが、この持ち方こそが、フェザータッチの基本です。
作法二:力加減を知る ― 150グラムの優しさ
では、具体的にどれくらいの力が理想なのでしょうか。歯科医院では、適切なブラッシング圧は「150〜200グラム」と指導しています。これは、歯ブラシの毛先が軽くしなる程度の、非常に優しい力です。ご家庭のキッチンスケールに歯ブラシを押し当てて、その力加減を体感してみるのも良いでしょう。
大切なのは、ゴシゴシと「こする」のではなく、歯の表面を優しく「なでる」という意識です。毛先が広がらない程度の力で、プラークをそっと払い落とすイメージを持ってください。
作法三:角度を極める ― 45度の魔法「バス法」
力を抜くことと同時に重要なのが、歯ブラシを当てる「角度」です。特に歯周病予防に効果的とされているのが、歯と歯茎の境目に対して「45度」の角度で毛先を当てる「バス法」という磨き方です。
毛先を歯周ポケットにそっと入れ込むように当て、5〜10mm程度の非常に細かい幅で、優しく振動させるように動かします。これにより、歯の表面だけでなく、歯周病の原因となる歯周ポケットの奥に潜んだプラークを、効果的にかき出すことができるのです。
あなたに合う「一本」との出会い方
フェザータッチを実践するためには、ご自身の口の状態に合った歯ブラシを選ぶことも、非常に重要です。どのような歯ブラシを選べば良いか、三つのポイントをご紹介します。
- ヘッドの大きさ:大きなヘッドは一度に広範囲を磨けるように感じますが、実際には奥歯や細かい部分に届きにくく、磨き残しの原因となります。小回りの利く「小さめ」のヘッドを選びましょう。
- 毛の硬さ:硬い毛はプラークを落とす力が強いように思えますが、歯や歯茎を傷つけるリスクも高まります。基本的には「ふつう」か、歯茎がデリケートな方は「やわらかめ」を選ぶと安心です。
- 柄の形:様々な形の柄がありますが、角度を細かく調整しやすい「ストレート」なものが、基本に忠実で扱いやすいでしょう。
自分に合った一本を見つけることも、歯を慈しむ大切なプロセスの一つです。
まとめ:今日から始める、歯を慈しむ新習慣
いかがでしたでしょうか。これまで「良かれ」と信じて力を込めていた歯磨きが、実は歯を傷つける行為だったかもしれない、という事実は、少しショックだったかもしれません。しかし、大切なのは、それに気づき、今日から新しい一歩を踏み出すことです。
「強く磨く」ことから、「正しく、優しく磨く」ことへ。この意識の転換こそが、あなたの一生ものの歯を、そして健やかな笑顔を守るための、最も確実で、最も優しい方法なのです。
もし、ご自身の力加減や磨き方に不安を感じる場合は、決して一人で悩まず、かかりつけの歯科医院で専門家の指導を受けてみてください。あなたの口に合った、最適なブラッシング方法を、きっと丁寧におしえてくれるはずです。
今日から、あなたの毎日の歯磨きが、歯を「攻撃」する時間ではなく、慈しみ「育む」時間となることを、心から願っています。