はじめまして。フリーライターの三浦陽子と申します。かつて歯科医師として臨床の現場に立ち、現在は言葉を通じて皆さまの歯の健康に寄り添う活動をしております。わたくしのささやかな趣味の一つに、陶芸がございます。土と向き合い、ろくろを回す静かな時間の中で、ふと、歯科医療と通じるものがあることに気づかされるのです。

一塊の土が、手の中で形を変え、炎を経て、唯一無二の器として生まれ変わる。そこには、素材の性質を見極め、慈しみ、時間をかけて育むという、一貫した思想が流れています。これは、私たちが自身の歯と向き合う姿勢にも、深く通じるのではないでしょうか。

「歯の治療」と聞くと、多くの方は「削って、詰めて、治す」というイメージをお持ちかもしれません。しかし、私たちの歯には本来、自らを修復し、健やかさを取り戻す力が秘められています。この記事では、陶芸という営みから着想を得て、失われたものをただ補うのではなく、時間をかけてご自身の歯を「育て直す」という、新しい考え方をご提案したいと思います。

歯が本来持つ「育つ力」― 再石灰化という自然の恵み

陶芸の基本は、まず土を知ることから始まります。その土地の土がどのような性質を持ち、どれくらいの水分を含み、火に対してどう反応するのか。土の声に耳を澄ませなければ、思い描く作品は生まれません。同じように、私たちの歯にも、知っておくべき大切な性質があります。それが、自らの力で傷を癒し、再生する「再石灰化」という力です。

私たちの口の中では、食事のたびに「脱灰」と「再石灰化」という、せめぎ合いが絶えず繰り返されています。食事によって口内が酸性に傾くと、歯の表面からカルシウムやリンといったミネラルが溶け出します。これが「脱灰」です。しかし、私たちの体は実によくできていて、唾液がその酸を中和し、溶け出したミネラルを再び歯の表面へと戻してくれるのです。この修復プロセスこそが「再石灰化」に他なりません。

この口内環境の酸性度(pH)の変化を示したものが「ステファンカーブ」と呼ばれるグラフです。食事を終えてしばらくすると、唾液の働きによって口内は中性に戻り、再石灰化が優位な時間帯が訪れます。この唾液は、いわば器の表面を保護し、美しい艶を与える「釉薬(ゆうやく)」のようなもの。口内を清潔に保つ自浄作用と、酸を中和する緩衝作用によって、歯を常に守ってくれているのです。

つまり、歯の表面にできたごく初期のむし歯は、いわば「修復可能な傷」。慌てて削り取るのではなく、この再石灰化という自然の恵みを最大限に引き出すことで、私たちは自らの手で歯を「育て直す」機会を与えられているのです。

自分の歯を「育て直す」ための、三つの作法

では、どうすれば歯が本来持つ「育つ力」を最大限に引き出すことができるのでしょうか。ここでは、陶芸の基本的な工程になぞらえて、ご自宅で実践できる三つの作法をご紹介します。

作法一:土を練り、形を整える ― 日々の丁寧なセルフケア

陶芸では、まず土に含まれる小石や空気といった不純物を取り除く「土練り」という作業から始めます。これを怠ると、成形がうまくいかなかったり、焼成の段階でひび割れの原因になったりします。歯のケアも同様です。まずは、歯の表面に付着したプラーク(歯垢)という「不純物」を丁寧に取り除くことから始まります。

この基本となるケアに欠かせないのが、フッ素が配合された歯磨き剤です。現在、市販されている歯磨き剤の多くには、再石灰化を促進するフッ素が含まれていますが、特に1450ppm程度の高濃度フッ素配合のものが、初期むし歯の修復には効果的とされています。また、歯ブラシだけでは届きにくい歯と歯の間は、デンタルフロスや歯間ブラシを使って、プラークを丁寧にかき出しましょう。だらだらと間食をせず、食事の時間を決めることも、口内が酸性に傾く時間を減らし、再石灰化を促す上で非常に重要です。

作法二:窯で焼き、強度を高める ― フッ素による歯質強化

成形された器は、窯の中で高温で焼かれることで、初めて実用的な強度を持ちます。この工程は、歯のケアにおける「歯質強化」に相当します。そして、その立役者となるのが、ここでも「フッ素」です。

フッ素は、再石灰化の際に歯の成分であるカルシウムと結びつき、「フルオロアパタイト」という、元の歯の構造よりもさらに硬く、酸に溶けにくい結晶構造を作り出します。日々の歯磨きでフッ素を取り込むことは、いわば歯の表面を毎日少しずつ焼き固め、酸の攻撃に対する抵抗力を高めているようなものなのです。さらに、歯科医院で定期的に高濃度のフッ素を塗布してもらえば、より強固な「焼き」を入れることができ、その効果を確かなものにできます。

作法三:釉薬をかけ、輝きを保つ ― プロによる定期メンテナンス

素焼きを終えた器に釉薬をかけ、本焼きをすることで、表面は滑らかになり、汚れがつきにくく、美しい輝きを放つようになります。この最後の仕上げに当たるのが、歯科医院での定期的なプロフェッショナルケアです。

毎日のセルフケアをどれだけ丁寧に行っていても、どうしても磨き残しは出てしまい、それがやがて歯石という硬い塊になってしまいます。歯科医院では、専門的な器具を用いて、この歯石や、細菌の集合体であるバイオフィルムを徹底的に除去(PMTC)してくれます。これは、セルフケアという「土台」の上に、プロの目で「仕上げ」を施す、共同作業と言えるでしょう。

スウェーデンの歯科医師、ペール・アクセルソン博士が行った30年にも及ぶ追跡調査では、2〜3ヶ月に一度の定期的なメンテナンスを受け続けた人々は、30年間で失った歯が平均わずか0.6本であり、実に97.7%もの歯を守り抜くことができたと報告されています。これは、定期的なプロのケアがいかに重要であるかを物語る、非常に力強いデータです。

一生ものの「作品」を目指して ― 8020運動と生涯医療費

丹精込めて作られた陶器が、日々の食卓を彩り、世代を超えて長く愛されるように、私たちの歯もまた、一生を共にするかけがえのない「作品」です。日本では、1989年から「80歳になっても自分の歯を20本以上保とう」という「8020(ハチマルニイマル)運動」が推進されてきました。

20本以上の歯があれば、ほとんどの食物を不自由なく食べることができ、豊かな食生活を送ることができるとされています。そして、長年の地道な啓発活動と歯科医療の進歩により、2022年の調査では、ついに8020達成者の割合が50.7%と、初めて半数を超えるに至りました。これは、多くの人が「歯は治療するものではなく、守り育てるもの」という意識を持つようになった、素晴らしい成果と言えるでしょう。

自分の歯を大切に「育て直す」という考え方は、お口の健康だけでなく、実は生涯にわたる医療費にも大きく関わってきます。定期的なメンテナンスで予防に努めることは、将来的に歯を失い、入れ歯やインプラントといった大掛かりな治療が必要になるリスクを減らします。目先の費用は掛かるかもしれませんが、長い目で見れば、それは自分自身の未来の健康と暮らしへの、最も賢明な投資なのです。

まとめ:日々の暮らしの中に、歯を慈しむ時間を

土に触れ、無心にろくろを回す時間が、日常に静かな豊かさをもたらしてくれるように、一日5分でも、ご自身の歯と丁寧に向き合う時間は、間違いなくあなたの心と体を健やかにしてくれます。それは、単なる「作業」ではなく、自分自身を慈しむ、穏やかで満たされた時間となるはずです。

「育て直す」という意識を持つことで、これまで「怖い」「行きたくない」場所だった歯科医院も、あなたの作品作りをサポートしてくれる、頼もしいパートナーへと変わっていくかもしれません。この記事が、皆さまがご自身の歯という、世界に一つしかない素晴らしい作品と、新たな関係を築くきっかけとなることを、心より願っております。